視界

大学が始まって一月ほど経ちました。

 

授業は何とかなっていて

受験に比べて何てやりやすく、素直でいられて、

苦しまずに済んでいるのだろうと、

まるで小学生に戻ったような心地すらします。

 

空いたコマに空を見ました。

窓の大きな部屋で、夕方までは電気をつけなくても良い程です。

埃が無音に舞い、穏やかで、雲が早かった。

空の青さを知っていたはずで

だけど季節が知らぬ間にずっと終わっていて

今年の春の桜も知らない。

井戸の外に私は出られたのかもわからない。

 

蛙の声、虫の音、水の流れ。

一浪目の秋から冬にかけて、

落ちたときの出家を検討したことがあります。

精進料理と写経と座禅の修行体験は未だにブックマークしたまま。

 

俗世から離れたかった。

学歴のためは立派な動機だと世間で認められていても、

私は好きになれなかった。

納得できなかった。

 

いきたいけど無理だから変えるとか

浪人したからランクを上げるとか

それが一般的とされる界隈に長くいても、

そういう野望染みた上昇志向には

眉を顰めずにはいられなかった。

 

もっと純粋に、

もっとまっすぐに、

ただあの大学にいきたいと。

今はもう変わってしまったけれど、

確かにあった焦燥であり懇願を、

学歴主義の一端に組み込まないでほしい。

 

だけどそれは無理で。

 

当事者であったとき

私は心の奥底でとても感情的だった。

受験というシステムに、固定されたカリキュラムと慣習に、

何か大事な意味があると思ってた。

 

この問題が解けるようにならないのは

何か根本的で不可欠なことを理解していないからで、

偏差値の高い子達は皆それをわかっていて

それを習得しなければ受からない、

なんて

 

ありもしない意味を執着によって生み出して

私はそれを妄信してた。

 

二浪目の夏、先生の言う通りに書いたら物理が解けた。

あのとき「こんなに簡単に解けていいのか」と

感動と疑念がないまぜだった。

 

今大学生になって

受験で苦しんだ問題の、その先を見ている。

何のためにあれらの問題を解いていたのか、

振り返ってやっと知れることが沢山ある。

 

この感覚が、泣きたくなる程に嫌いだ。

 

祈っていた神殿は空で

先人の手のひらで踊っていたにすぎない。

そこに真摯さも切実さも関係ない。

ただ正しい神を従順に讃えれば終わり。

 

最初の感想は

つまらないな

だった。

軽く失望して、そしてうんざりした。

 

 

もう一回やってみたいと思う自分がいることに、

私自身当惑していて

久しぶりにブログを書きました。

 

RPGで一旦進めた後に昔のダンジョンに行くと

仕掛けが動いたり鍵が開けられたりするじゃない。

あんな感覚で、

問題の意図を知った上で

もう一度やってみたいと思う自分がいる。

属性に合う武器をやっと手に入れて

二度負けた敵にもう一度挑むように。

 

ただ、毎日毎日

あの問題はここで失点したかもしれない

あの計算が怪しいから答えは間違っているに違いない

あれでいいはずだけれどもっと無難な表現があった

って

全部の問題を呪いのように思い出すのはもう嫌です。

 

もう振られた。

望みがない。

新しい恋にもまだ踏み出せない。

ならかつての想い人との思い出を、整理してはいけませんか。

 

お金もかかる、

書類も必要、

センターじゃなくて新テストに変わる。

懸念もやめる材料もいくらでもある。

 

正直、迷っている。

決断材料はきっとない。

気持ちの問題。

 

「自分の考えた通りに生きなければならない。そうでないと、自分の生きた通りに考えてしまう」(ブールジュ)

「またあなたといていいのなら 焦らず急かさず時間を無駄にしていくような余裕のある恋愛がしてみたい」(浮谷ふみ)

「天の将に大任を是の人に降さんとするや、必ず先ずその心志を苦しめ、その筋骨を労せしめ、その体膚を餓えしめ、その身を空乏せしめ、その為さんとする所に払乱せしむ。」(孟子)

 

とか、色々。

 

おやすみなさい。